知とわたし――女性学、フェミニズム研究の視点から 第4回

“Love yourself first, then you can love others”


元山 琴菜(北陸先端科学技術大学院大学・講師)

”Love yourself first, then you can love others”
(まずは自分を愛しなさい、それから他の人を愛することができる)

これは私が19歳の時に、授業で先生が言った言葉であり、以来、私の人生を支え、今も大切にしている言葉である。思い返せばこの言葉は、私が「知」と出会う大きなきっかけを与えてくれた。

この言葉を初めて聞いた時、私は大きな衝撃を受けた。小さい頃から、「他の人に優しくしなさい」、「他の人は大事だよ」ということは教えられていたが、「自分を大切にしなさい」とか「自分を愛しなさい」ということを教わった記憶はほとんどなかったからである。その言葉は、その後の私の人生において、迷ったときに軌道修正してより豊かな人生を模索する力や自信、自尊心、自分らしく生きる意欲となり、自分の周りで起きているあらゆることがそれまでよりくっきり見える感覚を与えてくれた。

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知とわたし――女性学、フェミニズム研究の視点から 第3回

「わたしと知――フェミニズムに出会って」

岡野八代(同志社大学教授・フェミ科研費裁判原告)

 強い信念があったわけではありませんが、わたしは、高校時代から、日本社会で役に立つような仕事に就くことはしたくないと思っていました。当時一番好きだったのは、本を読むことでしたから、文学部への進学を望みながら、親との話し合い――女性はきちんと手に職をつけていないと、経済的に困ることになる――で、将来的な展望がじっさいにはあったわけではありませんが、社会科学系の学部を受験し、80年代後半に政治学科に入学しました。今思えば、政治学をしっかりと勉強したからといって、なにか社会に「貢献」できる仕事につけるわけではないのですが、政治学科にいながら、なるべく、当時のわたしは、あくまで自分の基準で「役に立たない」と思える科目を受講していました。とはいえ、政治学科を卒業するためには、一定の単位数以上の政治学系の科目を取得しなければなりませんでしたし、なにより、3年次より始まるゼミは、当然ですが政治学関連のゼミしかありませんでした。

 そのなかで、当時のわたしが最も「役に立たない」と考えたのが、西洋政治思想史でした。

 西洋政治思想史は、哲学者たちが政治とは何かをめぐり論じてきた、その歴史についての研究です。大学3年生となり、ゼミで最初に読んだテキストは、『ソクラテスの弁明』でした。ソクラテスは、ご存知の方も多いように、古代アテネで、〈正しいこととはなにか知っていますか?〉と聞いて回り、みなが知っているといいながら、結局は何も知らなかったということを発見する哲学者です。そして、自分だけが知らないということを知っている点で他のみなとは違うと、「無知の知」という、知を愛する者たちの心の中に刻まれる有名な言葉を残しました。

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知とわたし――女性学、フェミニズム研究の視点から 第2回

交差する文脈の中を生き抜くための知

荒木菜穂(日本女性学研究会)

社会は難しく、そして面倒くさい

女性学、フェミニズムと出会うと、「個人的なことは政治的なこと」ではないが、さまざまなことがらが、社会のしくみとともに考えることができることがわかってくる。「あたりまえ」とされているけれど、なんとなくモヤっとすることでも、その背景にある社会のしくみを知ることで、納得できるか、おかしいと思うか、自分の言葉で考えることができるようになる。先達による知の蓄積はその意味で、何物にも代えがたいものである。

同時に、ある程度、ある事柄についての議論を知るにつれ、社会は複雑で面倒くさいものだと感じる機会も多くなる。

私が社会って、人間って難しいな、イチかゼロでは語れないのだな、と思ったひとつが、いわゆる「エロ」についてのことだった。エロは女性差別的、性的搾取的な文化だとフェミニズム的には言うんだろうけど、エロを楽しむ権利もエロをお仕事にする権利も女性にはあって、それを否定するのってどうなのだろう、という。

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