歴史修正主義に拠る判決:5.25フェミ科研費裁判京都地裁判決を批判する(牟田和恵)

牟田和恵(大阪大学名誉教授。提訴時は大阪大学人間科学研究科教授)

牟田らの科研費研究(2014~17年度。牟田を研究代表者とし計7名の共同研究)について、杉田水脈自民党衆院議員から研究がねつ造である、研究費に不正使用がある等々、SNSやインターネットTVで誹謗中傷をされ、牟田及び共同研究者4名(岡野八代同志社大学教授・伊田久美子大阪府立大学教授・古久保さくら大阪市立大学准教授。いずれも提訴時)が名誉棄損による損害賠償と謝罪を求めて杉田氏を2019年2月に京都地裁に訴えた。その判決が5月25日に下ったが、原告らが問題とした数々の誹謗中傷の発言をことごとく、単なる意見論評に過ぎず、原告らの社会的評価を損なったとはいえないと切り捨てる、全面敗訴の結果だった。この結果に、落胆とショック、個人的な怒りと腹立たしさももちろん強いが、あらためて判決の内容を吟味し考えるとさらに、日本の司法もここまで来たか、これが日本社会の常識になっているのか、、、の思いを強くし、その問題を多くの人々と共有すべくここにその問題点を整理することとした。なお、本稿は弁護団や原告団全体の共通見解というわけではなくあくまで牟田個人の、現時点での思いであることをお断りしておく。

  1. 歴史修正主義(歴史改ざん)に立つ判決
  2. 学術研究の性格や研究者への無理解
  3. 杉田議員の影響力、権力を無視:個人的な争いであるかのように矮小化
  4. 事実認定の判断の恣意性、被告側への目に余る肩入れ

1.歴史修正主義(歴史改ざん)に立つ裁判所

 杉田氏が慰安婦問題や徴用工問題等について、安倍元首相の意を汲んだ歴史修正主義(正確には歴史改ざん)の立場に立つことはよく知られている。私たちの科研研究についても、櫻井よしこ氏らとともにその立場からさまざまな誹謗中傷を行った。
 信じがたいことに本判決は、それと立場を同じくし、その立場から杉田氏の発言は誹謗中傷ではなく単なる意見論評にすぎない、と判断しているとしか思えないのだ。というのも、判決文の通例通り、本判決も冒頭部分(p2~)で、判決の前提として「事案の概要」を整理記述しているが、その項目の「1 前提事実」に、(1)当事者等、(2)科研費について、(3)原告らの研究、と続けて本裁判の内容が整理され、続く(4)は、「「慰安婦問題」についての外務審議官の発言等」の項目が建てられており、そこは以下の文で始まる。

「日本国外務審議官が、平成28年2月16日、国連ジュネーブ本部での女子差別撤廃条約第7回及び第8回政府報告書審査においてした質疑応答部分の発言概要は、以下のようなものであった(以下「本件見解」という。)」(p8)。

(2022年5月28日京都地裁判決文より)

 ここからは、慰安婦問題に詳しい人には周知の、杉山晋輔外務審議官のジュネーブでの発言通りの内容で、強制連行は無かった、吉田清治氏の日本軍の命令で大勢の女性狩りをしたという虚偽の事実をねつ造しそれが大手新聞によって報道されて強制連行の虚偽が広まった、性奴隷という表現は事実に反する、という、安倍政権以来の慰安婦問題に関する政府見解が述べられている(~p9)。
 歴史学はじめ学問的知見からは、すべてのケースではないにしろ強制連行はあった、吉田氏の虚偽の発言や朝日新聞の報道が慰安婦問題の問題化を水路づけたわけではない、多くの慰安婦たちが戦場で自由のない奴隷のような状態に置かれていた、ということが明らかにされており、杉山審議官の発言は歴史修正主義に拠った、学問的でもなければ客観的なものでもない。しかし判決文は、これを、以下「本件見解」として進んでいく。
 これが「本件見解」というのはいったいどういう意味なのだろうか。慰安婦問題についての「政府見解」、あるいは被告杉田氏側の見解、ということで示されているのならばまだ理解はできる。しかしそれならば、ここは「前提事実」が整理されている箇所なのだから、原告側の見解も併記されていないとまったくバランスを欠く。実際のところ、本裁判では慰安婦問題に関しては双方ともとくに主張を行わなかったのだが(原告側は準備していたが、杉田氏が発言の内容の真偽についてはまったく立ち入らなかったので、原告も主張しなかった)、なぜこの「事案の概要-前提事実」の部分に、外務審議官の発言が「本件見解」としてわざわざ明示され、その後も判決文で繰り返されているのか。
 実のところ、杉田氏は、私たちの研究を「ねつ造」としたことについて、訴訟の過程で、政府見解と異なるという意味でねつ造と言ったと主張していた(被告準備書面4,p19)。これは呆れるほかない言い訳で、当然ながら原告側は、「ねつ造」の語の意味にそのような用法は無いことを指摘して反論した(原告準備書面5p9、6のp6)。つまりここは、裁判所が「政府見解と違うからねつ造」の杉田氏の言い分に正当性があるかどうかを判断すべきところで、常識的な日本語の用法に拠るならば、そのような言い分は否定されるのが当然だろう。しかし裁判所はそれをせず、論点をずらして、杉田氏がねつ造と言っているのは、慰安婦問題そのものについてであって必ずしも牟田らの研究について言ったのではないと繰り返し、この点についての判断を回避しているのだ。つまり、杉田氏側が、牟田らの研究について、政府見解とは違うという意味でねつ造と言ったと明言しているのに、裁判所は、杉田氏は牟田らの研究についてねつ造と言ったわけではない、と裁判所独自に編み出した言い訳を与えて杉田氏を擁護しているのだ。
 この「本件見解」は、判決文の形式上、裁判所が認める慰安婦問題についての見解として述べられていると考えざるを得ず、じっさいこれを前提として、そのあとの「第3 当裁判所の判断」(p24~)が行われる。さらに「前提事実」の(5)は「科研費についての報道及び被告による質疑、の項となっているのだが、ここでは、産経新聞の「歴史戦」と称して歴史問題をテーマとする科研研究を批判する産経新聞平成29年12月13日の記事(この連載では牟田らの科研は登場しない)が引用されているのだが、これも、なぜこの記事が本裁判で争っていることの前提事実としてとくにここに明記されているのか、理解に苦しむ。
 つまり京都地裁裁判官は、杉田氏を擁護するために杉田氏の「ねつ造」発言を歪めて解釈しているだけでなく、慰安婦問題に関して、現政府見解=一般的な見解であり、いわば社会常識的な見方であるととらえ、そのため、それに沿って発言している杉田氏の発言には何の問題もない、と考えているようなのだ。
 その典型的一例が、第3当裁判所の判断 の、P33~の、ねつ造発言について、「番号7ないし9の投稿における「ねつ造」との表現は、「慰安婦問題」に関し、強制連行の事実は存在せず、「性奴隷」といった表現が事実に反するとの本件見解に基づき、もともと「慰安婦問題」が女性の人権問題として広く流布されるに至った発端となったのが事実に反する報道であり、いわば同問題の根幹となった強制連行の点が事実に基づかないものであるとの見解をもとに、同問題を女性の人権問題として捉えること一般について、そのような意味で存在しない歴史的事実に基づくものであると解され、特に原告らの研究を対象として、それが虚偽の事実をもとにしてされたものであるとの事実を適示するものとは認められない」の箇所である。
 読解に困難をきたす悪文で、意図されているところは必ずしも明瞭ではないのだが、裁判所は、杉田氏はこの見解(「本件見解」)から、慰安婦問題はねつ造であると述べただけであって牟田に対するツイートでねつ造と言ったのはそのことを言っているだけで、牟田らの科研について言ってるわけではないとあくまで杉田氏を擁護するのだ。
 京都地裁の言うこの「本件見解」は、安倍政権以来の現政府の見解かもしれないが、多くの歴史研究者が明らかにしている事実に反し、しかも河野談話をはじめとする現在も生きているはずの政府見解にも反する、歴史修正、歴史改ざんだ。それなのにこの見解を、あたかも客観的な事実・真実、当然の前提のように裁判所が扱い、その立場から私たちに敗訴の判決を下しているとは原告としてまったく承服しがたいが、それ以上に、司法の独立を保つべき裁判所が特定の政治的立場にあからさまに与することが許されるはずがない。
 裁判所がこうした立場をとるのは、杉田氏、杉田氏のバックにいる安倍元首相をはじめとする政治勢力に対する配慮のゆえ、あるいは有形無形にそのような圧力があったということなのだろうか。それは十分に推測でき、そうだとすると非常におそろしい事態であるが、しかし同時に、裁判官自身がすでにこの歴史修正主義バージョンを慰安婦問題の真実として受け入れているという見方もできよう。裁判官個人がどのような政治信条を持とうが自由だろうが、しかしこうして判決文にまで、いわゆる「にじみ出る」ようなレベルを超えて明白に述べられているとは、裁判所がすでにここまで、、、、と暗澹たる思いがする。

2. 学術研究・研究者の立場への無理解:裁判所の女性研究者軽視

 本判決では、判決文の全体にわたって、原告らが問題として訴えた杉田氏の発言の一つ一つについて、「原告らの人格的価値に対する社会的評価を低下させるものとは言えない」、だから原告らの訴えはあたらない、という判断が繰り返されている。しかし、判決文では一か所も「研究者としての社会的評価」には言及していないのだ。
 「ねつ造」扱いにしろ、金銭の不正使用にしろ、どのような対象・文脈であれ言われた者の評価を低下させるものだが、しかし、とくに研究者にとっては、それらの言葉は研究者生命を危うくする深刻な暴言だ。STAP細胞や考古学的「発見」の事例がすぐに思い浮かぶように、研究にねつ造があれば、即ポストを追われ学界から追放される。科研費の不正使用が発覚すると、その研究費の返還義務が生じるだけでなく所属大学にも重いペナルティが課され本人だけで済む話ではない。研究者にとってはこれらの言葉は、たんなる悪口、行き過ぎた表現、ではとどまらないのだ。
 この点を私たち原告は、専門家の意見書等も提出し、裁判所の理解を求めたのだが、しかし残念ながら判決はそれを一顧だにすることなく、あくまで「社会的評価を低下させるものではない」の一般論を繰り返した。研究が捏造で研究費を不正流用していると、現職の国会議員が流布したのに、これで社会的評価が下がらないのなら、研究者の社会的評価とは何なのか、裁判所に厳しく問い正したい気持ちを抑えられないが、しかしここには、裁判官らの偏見が透けて見えるように思える。もし訴えたのが男性研究者であれば、裁判官は、彼の「研究者」としての名誉に一切考慮しないという暴挙をしただろうか。私たち原告が全員女性で、女性差別やセクシュアリティをテーマとして研究していることが、裁判官たちにとっては、学問の名に値しないくだらないものとして映っていたのではないか。「研究者としての名誉」が私たちにはまったく無いかのようにしか裁判官たちには思えなかったのではないか。そう考えると、この裁判は、司法の女性差別を抉り出しているともいえるだろう。

3. 杉田議員の影響力、権力を無視:個人的な争いであるかのように矮小化

 さらに、理解に苦しむのが、裁判所が杉田氏の発言を許容する理屈の一つが、杉田氏と牟田とのツイッターでの発言を一連の「言い合い」のようにとらえている点だ。牟田は、ツイッター上で、有名人である杉田氏から、「ねつ造」「反日」などと名指しして非難中傷され、驚きながらも、それはどういう意味か、国際的人権感覚ではあなたのほうが反日、等と、数度のやり取りをおこなった。これについて、判決は、あたかも両者が対等な一対一の個人であるかのようにとらえ、互いのやり取りのなかでヒートアップした、だから表現が過ぎたとしても仕方ないかのように判断しているのだ(p31~33)。しかも、ここで杉田氏のツイートの前後の文脈をつなげて読めば牟田を指してねつ造と言っているとまでは言えない、などと判断を下している。しかし、言うまでもないが、ツイッターで投稿を見る人は、時間を追ってやり取りの文脈を把握しているわけではない。とくに杉田氏のように有名人でフォロワーが膨大な人物の(当時ですでに彼女のフォロワーは10万を超えていた)ツイートは、一つ一つの発言が個々に膨大に拡散されていく。ここでもまた、裁判所は杉田氏の影響力や権力にあえて目をつぶっているとしか考えられない。

4.事実認定の判断の恣意性、被告側への目に余る肩入れ

 以上のように本判決は、基本的な点において、政治的に偏り女性研究者を軽視しているとしか思えない姿勢が随所に見え、その立場からなされる一つ一つの事実認定も、上に触れてきたように大きく曇ってゆがんだものとなっている。そして各所で、杉田氏側の主張を超えた言い抜け、開き直りが裁判所によってなされているのも驚くべきところだ。細かい点をあげればきりがないのだが、ここでは一つだけ指摘しておく。
 杉田氏は、私たちが、「慰安婦問題は#Metooだ!」と題したショートムービーを、科研助成期間の終了(2017年3月)後の2017年5月に制作公開していることについて、助成期間後に経費を支出している、どれだけずさんな経費使用をしているかがわかる、などと発言し、私たちの研究費使用に不正があるかのように発言していた。しかし、このショートムービーは自分たちで編集し制作したものだから経費はかかっていないし、そもそも助成期間が終了しているのに科研費が使えるわけがない。それに、研究助成期間終了後にも関連する研究成果を出すことは、ごく普通のことであって、助成期間内でしか研究成果を出せないとするときわめて不合理なことになる。一般的な商取引では、契約をした商品は納期まで納品しなければならない、というのが常識だろうが、研究成果はそれとは意味が異なり、助成期間ののちに研究成果をまとめて論文や書籍として研究成果を公刊、ということは一般的にある(もちろん、科研費を使用して報告書等の形で研究成果を刊行するなどの場合は、助成期間内にその現物が納品され支払いを済ませなければならないのは一般の商取引と同様で当然のことだ。なお、私たちは4年間の科研助成期間内に、計7名の共同研究者によって、研究の総まとめとしての電子書籍ほか、計67件の書籍・論文を刊行し、学会発表等も行っている)。
 この点について、私たちは杉田氏側の認識がいかに間違っていて学術研究の常識をたがえているかを裁判の中で明示し、杉田氏側も、裁判が進行するうちにさすがに主張を変えて「しかし、報告書の書き方に誤解を招く点があった」といった言い訳にトーンダウンしていたのだが、しかし、判決は驚くべきことに、「研究期間終了までに本件動画が完成していなかったという重要な部分は事実と認められる」p46(傍線は牟田による)と、杉田氏の誹謗には正当性があったかのように断じている。さらには、「被告がずさんと述べる経理の主体が原告牟田であるというのか、その所属大学であるというのか、科研費の所管官庁等であるというのかは必ずしも明らかとはいえないから」原告らの人格に対する社会的評価を低下させるものとは認められない(p45)と、杉田氏側の主張には無かった言い抜けまで裁判所が編み出しているのはあきれるばかりだ。
 このようにあくまで杉田氏に肩入れする姿勢を隠しもしない裁判所に対し、判決直後の報告集会で、「裁判官は杉田議員の親戚のおじさんなのか!?」と冗談を飛ばしたのだが、本人が言っていない言い訳まで編み出す裁判所は、身内のひいきの引き倒しにさえ見え、原告側からすればやりきれない思いだ。

控訴へ

 私たち原告は、全面敗訴の判決に非常に大きなショックを受け落胆したが、以上のように判決は、私たちの訴えをまじめに受け取ったとは全く思えず、全編にわたって恣意的で政治的に偏向した判断であると言わざるをえない。杉田氏への忖度、配慮があったのではないかと上述したが、さらに言えば本判決は、有力な与党国会議員に対しわずかでも過ちを認めるような判決を書くわけにはいかない、そんなことをすれば裁判官としてのキャリアに傷がつきかねない、というところから、結論ありきで書かれた判決文なのではないか。そして杉田氏自身も、それを承知で悠然としていたとしたら―――じっさい、裁判の過程では、正面から私たちの主張に反論批判するというより、逃げの姿勢をとっているように見えた―――司法の場とはいったい何なのか。
 このように考えれば、この裁判は杉田氏の言動の問題を問うものであると同時に、現在の裁判所の姿勢やあり方を問うものでもあると痛感し、私たち原告は大阪高裁への控訴を決意したところだ。皆様方には、今後も本裁判への注目と支援をお願いする次第である。


*本稿では、本判決の問題点について批判しきれていない点が多々あります。他の原告がこの後に記し、本HP https://kaken.fem.jp/ に掲載していきますので、ご注目ください。