知とわたし――女性学、フェミニズム研究の視点から 第4回

“Love yourself first, then you can love others”


元山 琴菜(北陸先端科学技術大学院大学・講師)

”Love yourself first, then you can love others”
(まずは自分を愛しなさい、それから他の人を愛することができる)

これは私が19歳の時に、授業で先生が言った言葉であり、以来、私の人生を支え、今も大切にしている言葉である。思い返せばこの言葉は、私が「知」と出会う大きなきっかけを与えてくれた。

この言葉を初めて聞いた時、私は大きな衝撃を受けた。小さい頃から、「他の人に優しくしなさい」、「他の人は大事だよ」ということは教えられていたが、「自分を大切にしなさい」とか「自分を愛しなさい」ということを教わった記憶はほとんどなかったからである。その言葉は、その後の私の人生において、迷ったときに軌道修正してより豊かな人生を模索する力や自信、自尊心、自分らしく生きる意欲となり、自分の周りで起きているあらゆることがそれまでよりくっきり見える感覚を与えてくれた。

その言葉に出会ったタイミングもよかったのだと思う。18歳から24歳という、年齢的に、自分とは何者かを見つめる上で極めて大切な時期であったということもあろうが、高校卒業後にアメリカに留学し、「生まれ育った日本」と「日本で生まれ育った自分」とを外から見つめ直すことができたからであるようにも思う。

私は幼少期から、家で人形やゲームで遊ぶより、外で体を動かす遊びの方が好きな子だった。今考えれば必然的だが、遊ぶ子たちは男の子たちが多かった。4年生くらいまでは、一緒に遊ぶ男の子たちと同じくらい動けたので、自分でも「男の子と遊んでいる」感覚さえなかったように思う。しかし、ある日いつも遊んでいた男友達から「男なのに女と遊んでいるとおかしいと思われるから」とかそんな感じの理由で、これからは遊べないと言われた。遊べないことのショックというより、その時自分が「女」であることを強く意識させられたことへの戸惑いがあった。髪は長くてポニーテールにはしていたが、どういう理由からか本当によく男の子に間違われ、それが嫌で、小さいながらに「女の子らしくないことがダメなのだ」と思っていた。それでも、中学、高校生では部活に熱中していて、動きやすさのために髪をベリーショートにした。体操服を着て女子トイレから出てきた私を見て、私とトイレの標識を何回か確認され、驚かれることもあった。今振り返れば、「女の子らしくしなければいけない」という思いと、それに抵抗する自分との間で葛藤していたのだと思う。

いわゆる一般的な女子とは、見た目も性格も態度も違ったのか、周りからは「なんか元山は他の人とは違うよな」みたいに言われ、「いい意味で」と言われても、人と違うことは「ふつう」じゃなく、良くないことだと認識していた。徐々に年齢を重ね、自分なりに「女らしく」しようと心掛けていたと思う。そんな「女らしく」する自分に対して、「元山らしくない」と言われることもあって、「自分はどうしたらよいのか」、「自分は何者なのか」と本当に迷走していた。だからこそ、色んな「元山」を場所ごとに使い分けていたが、どんな場所にいても揺るがない「自分らしさ」はその当時まだ手に入れられてなかったのだと思う。色んな「元山」で葛藤したし、人と違うことも怖かった。それだけ昔の私は、「他の人にどう思われるか」ということに敏感で、周りの人が提示するあらゆる「らしさ」に迎合しようとするあまり、「自分らしさ」を誰かに決めさせていたのだと思う。

「生まれ育った日本」にいるときは,戸惑いつつも気が付いていなかった。渡米して、「自分をまず愛しなさい」と言われたとき、他の人にどう思われるかを基準にして、本当の自分や自分の心に嘘をついていることに気づいたのだった。そして、本当の「自分らしさ」は社会にある「らしさ」とは違うし、社会のそれに合わせず、「自分らしさ」を自分で決めて、追及しても良いのだと励まされた気持ちになったのだった。

その後のアメリカでの生活では、あらゆる「カルチャーショック」を経験し、そのたびに「自分を愛する」ことに向き合い、「自分らしさ」を追求し、そういった経験が自分を大きく成長させてくれたのだと思う。

例えば、社会学の講義を19歳で取ったときは、「これは人を幸せにする学問」だと思って、初めて勉強が楽しいと思い、「社会学で将来就職どうするの」という同級生の質問にも気を留めず、自分がやりたいことをするのが「自分を愛する」一歩だと思った。

女性学を取った時は、自分のこれまでの経験が言語化できることに感動を覚え、「これは生きるために必要」だと感じたと同時に、「なぜもっと早く教えてくれなかったのだ」と強い問題意識をもった。あらゆる背景をもった「女性」について学び、多様な生き方があるのだと励まされ、「自分らしく」生きる人は美しいと実感した。そしてそのためには、「自分を愛する」ことができることが必要不可欠だと思った。

20歳で大学の寮に入り、ルームシェアをする上でのルール確認をルームメイトとした時、風呂の掃除当番や人を招待する時の注意事項を確認するのと同じように、マスターベーションをする時のルールも確認され、マスターベーションをすることが恥ずかしいのではなく、自分の身体を知らないことの方がよっぽど恥ずかしいことを知った。同じ頃、早朝に開講されていた性教育の講義を取った時は、オーガニズムに達したときに女性と男性の身体がどう変化するかの映像が目の前の大きなスクリーンに流れ、さすがに気まずいと思って他の学生を見てみると、真剣に聞いているのを見て、「性」を学ぶということは「生」を考えることだと知った。私がアメリカで知り合った多くの人は、「自分が知らない身体のことを、他の人に触らせるのっておかしくない?」とむしろ不思議そうだった。生命をつかさどる自分の身体は自分が一番よく知っておく必要があり、それも「自分を愛すること」の一つだと痛感した。

大学院生の時は、あるアニメのキャラクターに似ていると私にしつこく話しかけてくる人がいて、その様子を見た男友達に、「あれ、いやじゃないの?自分はセクハラだと思うけど」と指摘され、笑ってその場をごまかそうとしている自分が恥ずかしくなった。嫌なことは嫌だと、相手にちゃんと伝えることは「自分を愛する」上で大切だと実感した。

私にとって、「自分を愛する」とは、自分を知り、どんな自分も受け止め、受け容れ、大切にすることである。アイデンティティは一つではない。得意なことも、苦手なこともある。社会から不本意なレッテルを貼られるものもあるかもしれない。でも、それも全部含め、私は私である。この世に変わらないものがないように、私も常に変わっていく。でも、そのたびに、そんな「自分を愛する」ことが、自分の生きやすさを見つける鍵であり、すべての人が「自分らしく」生きられる社会づくりに貢献したいという意欲へと繋がっている。

「あなたは自分のことが好きだと言えますか?」

これは、私が中学生、高校生、大学生や一般向けの講演で聞く質問である。こどもだけではない、おとなも、この質問に対してすぐに「YES」と答えられる人はほとんどいない。もっと多くのこどもたちが、おとなが、この質問に胸を張って「YES」と答えられる、そして、「自分らしさ」を自分と他の人の幸せのために使える人たちが増えてほしいと強く願う。なぜなら私にとって「知」とは、自分を知り、他の人を知り、社会を知り、世界を知ることだからである。「知」があればこそ,自分を愛し、自分らしく生きられる。すなわち「知」とは、自分も含めた人々の人生をより豊かにするために必要な道具である。

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